風の木ブログにご訪問いただきましてありがとうございます
この記事はブログを始めてから60回目の投稿記事になります
さほど面白い記事を書けているわけでもないのですが、それでも毎日読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます(#^^#)
60回目ということで、私の大好きなメッセージをお伝えしたいと思います
私は、いまここの阿部敏郎さんの公式ブログを10年ほど前から読ませていただいています
あるのはいまだけなんだよ
何者にもなることはないんだよ
あなたはあなたのままでいいんだよ…
現在たくさんの方がいまここを提唱していますが先駆けはやはり阿部さんです
私自身もうあまりスピリチュアル的なものに興味はないのですが、目に見えない世界は確かにあるし、それはとっても大切なものであるという気持ちは変わりません
そして不思議…と感じることは今でもいろいろ起きたりはしているのだけれど
ただ今はスピリチュアル的なことに関しては無理やりにその中に自分を置くのではなく、必要なときに必要なものを取り入れてゆけばよいと感じています
それ以上に大切なことは今生きているということ
そして命を全うするときまではしっかりと地に足をつけ現実を生きるということ
自然とそう感じるようになりました
今私が素敵だなと感じる人たちは額に汗して普通に働く人たちです
それこそがスピリチュアルなんだと思います
話しが逸れましたが、ず~っと以前、阿部さんのブログの中で心にストレートに響いた記事がふたつありました
そのひとつをご紹介したいと思います
2010年3月17日
「始まりの始まり」
この世で起きることは、あらかじめ決まっている。
事は寸分の狂いなく運行されていて、人との出会いも別れも、一分一秒ずれることなく完璧なタイミングで起きている。
人生で最も大切なのは自分を知ること。
心配いらない
すべてはうまくいっているし、すべてはうまくいくから。
覚醒の連鎖が始まる。
それは日本から始まることになる。
これらは、25年前に一瞬にして受け取ったメッセージの主な項目です。
4月刊行予定の「かんながら」のテーマも、まさにこのことです。
===転載終了===後はリンクをお読みください http://abetoshiro.ti-da.net/e2698873.html
2010年で25年前…ということは32年前に阿部さんが受け取ったメッセージです
これは・・・私の心にストレートに響いた記事でPCに保存していました
私たちは生きてゆくことさえ投げ出したくなるような、そんな過酷な状況に直面することが一生のうちに何度かあると思います
本当につらかったとき、この記事ともうひとつの記事を何度も何度も読みました(もうひとつの記事はまた近いうち紹介させていただきます)
信じられない!どうして?というような出来事も「始まりの始まり」
どんなつらい出来事も、それは自分の人生の中の新しい始まりのターニングポイントであり、通過儀式なのだと思います
どうしても直面しなければならなかった出来事、その出来事があってこそ
今世の他の場面でまだどうしても会わなければいけない人たちがいる
現在の状況では考えられない場面で自分がしなければいけない事がある
(それはただ道に落ちていたゴミを拾うこと)自分にとってはそんな当たり前なささいな出来事であってもゴミを見て不快な気持ちにならずに済む人がいる。そのことがどんなことに繋がってゆくかはわかりません
生きることはその繰り返しであり、そう思うと生きてること自体が不思議で尊いことなんだと今更に思います
「始まりの始まり」を読んでそれぞれに感じ入り、ちょっと元気になってくれる人がいると嬉しいです
ありがとうございます