人を赦す、罪や過失を赦す…
赦すべきか否かという選択は人生の中で何度も訪れます
よくお客様からの相談の中でも「赦すべきですよね」「赦したいのですけど」という言葉をお聞きすることがあります
つい先日もありました
心が千々に乱れている、そんな状況でいながら、今赦さなければならないものでしょうか
私が「赦さなくてもいいんじゃないですか」と即答すると、皆さん驚かれた顔をされますが、今、つらくて、苦しくて、心静かに癒されたくて、ここへ来たのですよね
「赦す」ということは確かに大切な尊いことだと思います
赦せるならば赦した方が、相手も、それ以上に自分が楽になれます
ただ人は、自分をひどい目に合わせた人のことをそうそう簡単に忘れて、赦せるものではありません
赦したくても、忘れたくても、事あるごとに嫌な記憶はフラッシュバックされ、その時と同じように心は傷ついています
そんな時に無理に「赦さなければ自分は成長しない」なんて…赦そうとすればするほど、自分に負担をかけ、心の澱を蓄積させてゆくだけだと私は思います
「あ~今思い出しても本当に腹が立つ」「踏みつぶしてやりたい!」くらいの勢いで腹を立ててもいいのではないですか?
そして気持ちが落ち着いたなら「まだ私に中にはこんなにも怒りが残っていたんだ」ということに気づくこと、それが大事なのではと思います
先日、ある記事をみていたとき
1997年に起きた 神戸連続児童殺傷事件の被害者のひとりであった山下彩花さん(当時10歳)のお母さん・京子さんが(2017年乳がんにより死去)事件から20年経って綴った手記の中で
「私たち家族が20年かけて学んだのは、試練の中でこそ魂が磨かれ、人の幸せを願う深みのある優しさと、倒れても立ち上がろうとする真の強さが育まれるということです。家族の絆もさらに強くなりました。それは決してお金で買うことができない宝物であり、彩花が命を懸けて教えてくれたことに他なりません。これからも、体験し、学んだことを丁寧に社会にお返ししてゆくことが私たちの役目だと思っております」と書いていらっしゃいました
京子さんが犯人を赦していたかどうかはわかりません
ただ想像を絶するような絶望の中、20年という歳月をかけてやっと至った境地なのではなかったのかなと思います
赦そう、赦そう、と自分を追い詰めなくても
それを解決してくれるのは、時(とき)、時間だけです
いつか長い年月を経て「あ?もうどうでもいいかな」と思えたときに、赦すも赦さないも、自分の中で解消されているのだと思いますよ
いろいろな感情が解放されたその時に、ずっと怒っていたその相手に「お幸せに」って言って(思って)あげたら良いと思います。本心からじゃなくても(これが味噌…笑)
あ、これはあくまでも私の考え方ですからね^^
以前もブログで赦しについて書いたことがあります
赦したいけれど赦せないと悩んでいる方があまりにも多くて書いたのだと思います
『置かれた場所で咲きなさい』の著者 渡辺 和子さんの壮絶な体験のお話しです
キリスト教カトリック修道女 89歳でご逝去されるまで生涯を神と信仰に捧げて生きた方で、昭和11年2.26事件でクーデターを起こした青年将校たちによって目の前で父・渡辺錠太郎を銃殺されました
信仰に生きていた和子さんでさえ、長い間犯人を赦すことはできなかったようです
明日は8ヶ月ぶりの倍音浴瞑想会で満員御礼となっています
参加される方はどうぞ気を付けておいでくださいね
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