釧路シンギング・リン音響セラピー風の木「響かせるということ」

「風の木」は北海道釧路市の住宅街にある音響セラピーサロンです

雨ニモマケズ


国民的作家と言われる宮沢賢治

ウィキペディアWikipedia)』

銀河鉄道の夜』『よだかの星』『風の又三郎』など知っている人も多いと思います

特に代表作と言っても良いくらいの雨ニモマケズ宮沢賢治が亡きあとに発見され、遺作として世に出た作品だそうです

この詩を初めて目にしたのはもう記憶は曖昧ですが…

確か、小学校の高学年?中学生の頃?の国語だったような気が…

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
(一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ)

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
(野原の松の林の陰の小さな茅葺の小屋にいて)

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※写真はイメージです

小学校高学年以降と言えば、その頃には洗濯機もあり、冷蔵庫やTVなんかもある生活

10代前半の子供にとっては何か、過去に遡るような仮想感だったと思う

それが最近、この詩をフっと目にする機会があって、この年でこの詩を読むとすっと心に染みてくるものがあるんだよね

日本の心なのかな

調べてみるとこの詩には

「そういうものに わたしはなりたい」宮沢賢治に言わしめた宮沢賢治と親しかった友人 齋藤宗次郎という実在した人物がモデルであるという説を知りました

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※左:宮沢賢治 右:齋藤宗次郎

 
みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに わたしはなりたい

そういうものに なれたら いいのにね

 

雨ニモマケズ」現代語訳

  雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

 慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

 一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

 あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

 野原の松の林の陰の

小さな茅葺の小屋にいて

 東に病気の子供あれば

行って看病してやり

 西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

 南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

 北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

 日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

 みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

 そういうものに わたしはなりたい